移植への理解を求める会 会報第9号           

記念講演会に800人

1125日 宇和島で第2回総会

万波先生の医療活動継続と

宇和島の基幹病院存続訴え

 「万波誠先生の医療活動継続を」「宇和島の2基幹病院(市立宇和島病院と宇和島徳洲会病院)を守ろう」をスローガンに、「移植への理解を求める会」の発足1周年を記念する講演会と第2回総会が、11月25日、宇和島市のえひめ南農協会館で開かれ、全国各地から会員ら800人が参加。大盛況となりました。

根津・難波・林先生が講演

「レストア腎」の呼称提言も

 講演会では、諏訪マタニティークリニック院長の根津八紘先生(長野県下諏訪町)、広島大学名誉教授(病理学・生命倫理学)の難波紘二先生(東広島市)、弁護士の林秀信先生(岡山市)の3氏が登壇。それぞれの立場から病腎移植の妥当性と推進の必要性を強調されました。また難波先生は病腎をレストア(修復)腎と呼ぶのが適切ではないかと、あらためて提言されました。(3〜9ページに講演要旨)

 講演会に先立ち、向田陽二代表のあいさつのあと、武田元介幹事が会員を代表して緊急アピールを朗読。病腎移植の問題で厚生労働省が、市立宇和島病院と宇和島徳洲会病院、万波先生に、それぞれ厳しい行政処分(5年間の保険医療機関指定取り消し、5年間の保険医登録取り消し)を出した場合には、地域医療の崩壊を招くものとして断固反対するとともに、ドナー不足解消の切り札となる病腎移植の推進を訴え、全国的な運動を展開していくことを確認しました。

 また自民党厚生労働部会長の衛藤晟一参議院議員をはじめ、愛媛選出の山本公一衆議院議員、石橋寛久宇和島市長、藤田士朗米フロリダ大学移植外科準教授、横田弘之県議会議長(求める会顧問)などから激励のメッセージや祝電が寄せられました。 

 総会では、活動方針、会則、役員改選案などが協議され、会計報告を除く議案がすべて了承されました。会計報告は監査委員の事情で、当日までに監査ができず、会報で事後了承していただくことになりました(別紙総会報告書に掲載)。

 活動方針では「@地域医療を守る立場から、市立宇和島病院と宇和島徳洲会病院に対して予想される不当な行政処分に反対し、各種活動を展開する」の項目を追加。役員改選では、新たに井手広幸さん(松山市)、小池昭彦さん(同)、福田保さん(西予市)の3人を幹事に選びました。

 最後に向田代表が決議文(総会報告書参照)を朗読し、全員一致で採択されました。

 

 (第2回総会と記念講演会の画像は、移植への理解を求める会の公式ホームページ

http://kenkoude.com/ishoku/071125/index.html)で見られます)

 

 緊急アピール                                      

私たちは、病腎移植問題で、愛媛社会保険事務局の監査を受けている市立宇和島病院と宇和島徳洲会病院に対し、保険医療機関の取り消し、万波先生には保険医の登録取り消しという厳しい処分を、厚生労働省が検討していると、伝え聞いています。

もし、これが現実になれば、南予地域の救急医療、産科医療、小児科医療などの中核病院である市立宇和島病院と、日本有数の腎移植病院であり、地域の中核病院である宇和島徳洲会病院の保険医療適用が不可能になり、愛媛県民、特に南予住民の多大な税金と保険料で支えている地域医療が崩壊することになります。また地域医療に多大の貢献をされてきた万波先生は、事実上、医療活動を続けることができなくなります。これは、患者や地域住民をないがしろにした暴挙と言わざるを得ません。

 この行政処分が公平で適切な検証のもとに、行われるものであれば、その責めを受けざるを得ません。しかし、今回の問題では、厚生労働省の誤った認識と根拠のない恣意的な判断により、不当な行政処分が行われようとしているのが実情です。このことは絶対に容認できないことです。

 これまで、市立宇和島病院と宇和島徳洲会病院で行われてきた病腎移植は、多少の形式的な不備はあるにしても、保険診療に適合した移植術として実施され、適切な手続きと審査のもとに、保険診療として認められてきました。

 それにもかかわらず、移植関連学会は、マスコミに虚偽の情報を流し、病腎移植を「とんでもない医療行為だ」と非難してきました。その意を受けた厚生労働省は、過去に行われた病腎移植すべてを保険診療の適用外として否定しようとしています。

 既に病腎移植は、オーストラリアでは通常の移植医療として定着しつつあります。イタリアでは多くの病腎移植の臨床実績を基に、国の主導で病腎移植のあっせんを視野に入れた研究も行われています。

 先日の報道によると、万波先生とグループの先生方による病腎移植の論文が、アメリカの移植外科学会の今年のトップテンに入り、来年1月、招待を受けて現地で発表することになっています。このように、万波先生らが実施してきた病腎移植は、移植のメッカ、アメリカでも注目を集めています。

 世界の移植医療の現場では、日常の臨床医療の中で蓄積されてきた病腎移植の実績が、科学的に検証され、ドナー不足を解消する有用な方法であることが認識されつつあります。

 海外では、どの国でも、臨床現場で日々患者と向き合い、奮闘している医師たちが勇気を持って始めた病腎移植が、賞賛されることはあっても、決して非難されたり、妨害されたりすることはありません。

 私たち「移植への理解を求める会」は、厚生労働省が、誤った認識と根拠のない恣意的な判断により不当な行政処分を行うことのないよう、賢明な対応を、強く要望していきたいと思います、

私たちの力を結集して、地域の医療を守り、病腎移植を推進する運動を、全国に広めて行こうではありませんか。

            2007年11月25日       

             移植への理解を求める会 会員一同 

 

 講演要旨                                       

 誰がための医療か

              諏訪マタニティークリニック院長 根津 八紘

世の中で起きている出来事の多くを、新聞やテレビの情報に頼っている国民の多くは、その報道された事実を、真実として捉えていると考えても良いでしょう。

ご多分に漏れず、万波誠先生の病腎移植の件が報道されたとき、一瞬「変なことをする医者がいるものだ」と私は判断してしまいました。なぜかと言えば、「病気のために摘出した腎臓を、他人に移植するなんて」と、単純に思ったからです。しかし、次の瞬間、テレビ画面を通し淡々とその事実を説明されている万波先生の誠実な姿に、「先生の真意は報道とは違うのでは」と思うようになりました。そのうち、万波先生を支援するために患者さんの会が立ち上がったことを知るにつけ、これは何者かによって作為的に歪曲された報道ではないかと確信するに至ったのです。

また、移植学会に入会せず、先進国の医療内容をベースとして病腎移植を行い、その効果を上げていること、その裏には腎提供者が少ないため人工透析患者が多くなっている日本の実情があること、さらには人工透析に毎日費やすことの大変さと、それに比べたら病腎移植の方が患者さんにとってまだ負担が軽いという事実を知るにつけ、これは病腎移植の先陣を切っている万波先生に対する移植学会のいじめではないかと思うようになりました。

ここで、私と万波先生とを同じレベルに置くことは僭越と知りつつも、お話をさせて頂きたいと思います。

一般的にほとんどの人は「学会の見解」と聞いただけで、その内容は正しいと信じているのではないでしょうか。ましてや、学会に異を唱えたり、逆らったりする人間は“おかしなことをする人”と見なすことは当然と考えているはずでしょう。

しかし最近になって、どうも学会の見解や対応の方がおかしいのではないかと思える場合が散見されるようになりました。私にとってみればその典型的な例が、私に対する日本産婦人科医会(旧日母)や、日本産科婦人科学会の対応です。

今から21年前の話になりますが、多胎妊娠に対し減胎手術を行ったときの今から21年前の日本産婦人科医会の対応は、結果的に“全部中絶することは良いが、減胎手術をして一部を生かして出産に至らすことはけしからん”ということでありました。それから10年後に行った非配偶者間体外受精の公表に際しては、「精子の提供による非配偶者間人工授精は良いが、精子や卵子の提供による体外受精はけしからん」という道理に合わない日本産科婦人科学会の会告にしたがい、私は学会を除名されました。そしてその除名に追い討ちをかけるようにして国税局による突然の査察が入り、さらには社会保険の指導が行われました。

一般的に国税局の査察が入る場合は、地方税務署のレベルでかなりの脱税問題が疑われるケースであり、その裏を取ってから行うのが常識といわれています。そんな裏を取られるような不正を私はしていませんでしたから、役人が来るなり「君たちは誰かの回し者だろう。絶対に許さん」と、私は怒鳴ってしまいました。また、それまで指導を受けるような保険請求をしていたわけでもないのに、突然の保険指導がされたのです。いずれにしても、徹底して私を懲らしめようとする当時の日本産科婦人科学会上層部の企てであることは十分推測できることでした。

このようなことに至る以前は、日本産婦人科医会や日本産科婦人科学会の上層部に対して、私はそれなりに畏敬の念を持っておりました。しかし、このようなことがあってから、私は考え方を変えました。要するに、上層部の人たちはどのような根拠の下、一体何の権利があって我々会員を指導し統制するのかと。そして納得できないことに対しては徹底して対峙することにしました。その後、日本産科婦人科学会とは約5年間の法廷闘争を経て、学会に戻ることになりました。しかし、その後も患者の立場を無視した形で、強制力を持つ会告はほとんど変えられることなく現存し、今も会員に対し学会上層部は強圧的にその内容の徹底を図っています。

私はたまたま医者になりましたが、今は「患者さんのために医者が存在するのであって、医者のために患者さんが存在するようなことは絶対あってはならない」との信念の下、医者をやっています。しかし、そこに至るまではそれなりのプロセスがありました。

医学部に入ったばかりのころ、私は「八紘さんがお医者さんになるんだって」と、周囲の人たちから羨望の思いで見られていました。また、学年が進む中で「医者は偉い存在なんだ」とある先輩から教え込まれ、知らず知らずに特別な自意識を持つようになっていました。さらに医師として仕事をするうちに、目の前の患者さんたちからも、それなりに私に対し尊敬の念を持っていただくようになり、医者は特別な存在であるかのような立場に、否応なく置かれることとなりました。

しかし、臨床経験を重ねるうちに、目の前の患者さんの方がどんなにか聡明で思慮深いかを悟ることが多くなり、ある時「おれは本当に偉い人間なのか」と冷静に自分を振り返るようになりました。そして、「小学校5年生まで寝小便をし、たまたま医学部へ合格、ろくに授業にも出ず、絵ばかり描いてデカダンスな学生時代を送り、他の学部の人より2年間だけ余計に学生時代を過ごした自分が医師国家試験に受かっただけで特別視されるなんて、とんでもないことだ」と思い改め、医師としての本来あるべき姿に自らを正しながら現在に至っています。

即ち、自分は医学の勉強を積んできたから、病気に関しては何でも分かっているようなつもりでいるが、今悩んでいる患者さんの方が病状に関しては一番分かっているということ、医者はその患者さんから病状を教えてもらい、その経験を次の患者さんのために還元して行く存在でしかないこと、だから決して医者自らが偉ぶったり威張ったりするべきではないこと、仕事が人の命にかかわることであり、時と場合に関係なく最善を尽くすことが当然であるから、患者さんがたまたま尊んでくださるだけであること。これらのことを自覚するようになってから、「医者の仕事は常に患者さんのために存在し続けるものでなければならない」と自分に言い聞かせ、本当の意味で尊ばれるに値する医者になるよう努力しているのが現在の私であります。

このような立場であるべき医師の集団が、自分たちの価値観により、手前勝手な意思で会告を決め、目の前の患者さんの訴えや立場を無視して行動することは、絶対あってはならないことなのです。

自分に関することばかり話してしまいましたが、万波先生も目の前の患者さんのことを第一義的に考え病腎移植をされて来られたものと思います。それを推察するに余りあることとして、万波先生がある時、ある記者の質問に対して「患者さんとは阿吽(あうん)の呼吸で」と答えられた言葉があります。私にも同じようなことがあり、「患者さんとは阿吽の呼吸で決行しました」と答えました。すると、翌日のA新聞には“阿吽の呼吸で”と、私の行動の軽薄さを揶揄(やゆ)するタイトルの記事が掲載されたのです。万波先生の阿吽の呼吸発言も、マスコミが万波先生を非難する材料としては十分でありました。

医療に阿吽の呼吸が無くなったとき、温かい人間味のある医療は消え失せると私は断言したいと思います。「マニュアルやインフォームドコンセント」。この横文字の内容は確かに必要なことで、これを欠くことはあってはならないと思います。しかし、いくらマニュアルがあり、その下でインフォームドコンセントがなされたとしても、患者と医師の間に信頼関係がなければ、医療は成り立ちません。

事の詳細は分かりませんが、悪意を持って万波先生の粗(あら)を探せば足らない所はあったかもしれません。しかし、患者さんの悩み、苦痛を取ってあげることを最優先するがために、途中のプロセスが少し足らなかったからと言って、全部を否定することになれば、私の毎日行っているごく普通の医療も、全部否定される結果となるでしょう。

私は、患者と医者との関係は、最後は阿吽の呼吸で成り立つもので、それが成り立たなくなったとき、私は医者をやめようと思います。移植学会は、病腎移植された患者さんのカルテのチェック、データのチェックの結果、病腎移植は効果なく、医療として認められないとの結論を出したようです。しかし、病腎移植は海外では普通の治療法として行われていると聞いております。万波先生の下で行われた病腎移植は国内では唯一の生きたデータでもあるはずです。また、それにより何よりも救われた多数の患者さんがおられ、その方たちが本日のように万波先生のためにこのような会を立ち上げ支持されていることは、何よりもの病腎移植の有効性を証明するものではないかと思います。

病腎移植を新興宗教団体が狂信的に行っていることならいざ知らず、諸外国のデータの下で行われた、何百という手術例、そしてその結果を患者さん方が満足しておられる医療を、移植学会が一方的に否定することはあってはならないことです。移植学会の決定に厚労省も追従し、病腎移植を保険適用外として、万波先生の保険医剥奪と宇和島徳州会病院、市立宇和島病院の保険医療機関5年間停止に至るかもしれないというこの現状、これは一体どういうことなのでしょうか。

これまで万波先生をサポートしていた産経新聞も、「病腎移植は医療として認められないにもかかわらず、保険適用させ医療費を詐取した」といった内容で、万波先生を見放したような報道に変わってきました。おそらく、病腎移植をめぐる報道や言説がこのような方向で処理されつつあることには何かその裏で大きな力が働いているのではないかと危惧します。

どうか患者さん側に立って、その裏の部分をジャーナリストの方たちは、ぜひ追求していただきたいと思います。そう感じていた矢先、今月の21日付の産経新聞に、“病腎移植論文発表へ、万波医師米学会で”という見出しで、一度日本移植学会の意向で発表が取り消されていた全米移植外科学会の冬期シンポジウムにおいて、万波先生の論文がエントリーされたことを報道していました。万波先生の努力が、自国でなく他国で評価されるという、皮肉な結果を国民はどう考えたらよいのでしょうか。

いずれにしても健康な人や、脳死などの人たちからの腎移植がスムーズに行われない実情から、万波医師の提唱する病腎移植は、一時的ではあっても必要不可欠の方法ではないかと思います。

学会という存在が今や目の前の患者さんから離れ、権威や権力の集団と化し、現実の医療やものの道理を無視して行動している集団と化してはいないでしょうか。もう一度、医師の集団である学会は、患者さん一人一人のために医療を行う赤ひげ的医者集団に戻るべきではないかと私は思います。歴史は万波先生の病腎移植を必ずや評価することでしょう。しかし、このような現状下において、これからも病腎移植で助けられるはずの患者さんや現在の万波先生の立場を救うのは、治療を受け恩恵をこうむった患者会の皆さんのお力にお願いするしか方法はないと思います。

どうか頑張っていただきたいと思います。私も及ばずながら応援させていただきます。                       

 病腎移植1年後の結果と将来性

         広島大学名誉教授(病理学・生命倫理学) 難波 紘二

昨年のちょうど今ごろ、万波先生は週刊誌や報道などで「悪魔の医師」とまで言われました。しかし私は、病腎移植は素晴らしいアイデアではないかと思いました。そこで、昨年11月に、私は中国新聞に初めて論評を載せたのです。すると、広島県医師会は、全国で唯一医師会として万波医師を擁護しました。そして私は全国の病理医にメールを送りました。反論はあるかと−。

藤田学園(藤田保健衛生大学)の堤寛教授(病理学)がすぐに賛同してくれました。堤教授は、腎臓を残しておくべきだったという批判に対して、実際には癌にかかった腎臓は、ほとんどの場合、全部摘出しているということを訴えました。

そして、3月31日の日本移植学会など5団体の病腎移植非難の統一見解では、病理学会が外れました。病腎移植はエッセン(ドイツ)、ローマ、アメリカ…と、藤田先生などの尽力で世界で認められるようになりました。新聞では、中国新聞、産経新聞、東京新聞が理解を示してくれました。

ところで、愛媛は怖いところです。それはなぜか? 司法解剖医が1人もいないのです。だから普通の医者が死体を見て判断する。すると殺人事件が普通の死亡となるのです。愛媛新聞はこんなところをたたいてほしい。たたくところが違うのではないですか。

過去に世界でどのくらい病腎移植が行われたか−。国内では既に90例実施されています。1985年、東京・虎の門病院では腎動脈瘤の腫瘍を切除したものを移植しています。国際的には、良性のもの21例、悪性腫瘍のもの71例、計92例あります。

病気の腎臓をレストア−ド・キドニー(Restored Kidney)といいます。「修復した腎臓」という意味です。こんな例は、世の中にいくらでもあります。皆さんもリンゴや野菜などで、少し一部が傷んでいても、そこを切って食べるでしょう。全部捨てる方がもったいないでしょう。

人間は40〜50歳になってくると、どこかが悪くなってきます。全く健康だということはないのです。私の眼鏡は3段式になっています。それに私は入れ歯です。誰でも、どこかが悪くても、それで生きています。全くの健康というのはあり得ないのです。腎臓も同じです。悪い部分を捨てて修復して使う。いいじゃないですか。

4月に学会は誤った判断をしました。日本移植学会の田中理事長、大島副理事長は、ほんとは知っていたのです。田中理事長はカリフォルニア大学のバスティ教授と3年前に、病気の肝臓を使おうという論文を一緒に書いています。自分が病気の肝臓を使う。そう言っていて、万波医師はいけないというのはおかしな話です。

しかし、闘いは終わったようなものです。世界が(日本の学会を)包囲しました。悪いことは言わない。今のうちに、と私は前から言っています。メディアはそろそろ旗を替えるべきではないでしょうか。

どうして万波医師は、あんなに非難されたのか。学会はやくざの世界と同じです。親分に、学閥に逆らえばいじめられます。愛大は阪大が握っています。阪大の某教授が(万波バッシングの)震源地だと思います。男の嫉妬ですよ。それにメディアの読売(大阪)や朝日が乗せられた。

病腎移植は、誤解を受けやすい。呼び方として「レストア腎」(修復腎)を提唱します。堤教授によれば1年間に2000例は使えるものがあるといいます。ほんとは、もっとあるはずです。

レストア腎移植はやましさがありません。堂々としていられます。5年間で1万人がレストア腎を提供できます。すると(もらう人と合わせて)2万人が移植の話をするようになります。そうなれば国民の移植への考え方が確実に変わってきます。

レストア腎移植は、起死回生の第3の道なのです。

                         (要約・井手 広幸幹事)

 

 患者の治療選択権と病腎移植

             弁 護 士 林 秀信(移植への理解を求める会役員)

  私たちの権利には、大きく分けると公(法)的権利と私(法)的権利がある。公的権利とは、国民が国や地方公共団体に対して有する権利であり、憲法上は自由権と社会権となる。私的権利とは個人と個人(あるいは法人)との契約関係から生じる権利である。   

 公的権利における自由権とは、国民が国家から干渉、制約を受けない権利である。憲法13条は国民は個人として尊重され、生命、自由、幸福追求権を有すると定めている。

 また、公的権利における社会権とは、憲法25条に代表される生存権をいう。

 この権利は国家に国民の福利のために、積極的に援助する努力義務を負わせるものである。国民は国家に福利政策の充実を要求する権利を持つ。

 医療契約における私的権利にはインフォームド・コンセント(情報を与えられたうえでの同意権)を中心とする権利があり、個人が自己の摘出臓器を処分、提供する権利も有している。

 そこで、臓器移植医療について、以上の私的・公的権利を俯瞰(ふかん)してみると、まず、個人の自由から導かれるドナーとレシピエントの臓器授受契約(双方の意思の合致がいる、という意味で広義の契約関係である)と、それぞれが医師と締結する医療契約が存在する。この契約関係に対して、国家がこれを禁止したり、制約したりすることは自由権からみて、許されないのが原則である。     

 また、社会権の観点からすると、国家は、これを放置するのではなく、国民が移植医療を受ける機会を与えられるよう努力する義務がある。臓器移植ネットワークの制度もこの趣旨から認められるのであって、公平、平等が第一の目的ではない。

 修復腎移植の考え方をまとめると、

 1、修復腎移植はドナーとレシピエントへのインフォームド・コンセント(IC)がある限り、許される医療である。自由な契約の考えから、自由に任せてほしい。そのことで被害を被る人はいない。

 2、最小限度の適切な手続きが必要。お医者さんの恣意的な考えを防ぐため、最小限度の適切な手続きは必要である(ドナーとレシピエントには別々の人が話す方がよい。また、はっきりと手術内容が説明されるべきである)。

 3、修復腎移植を受けること自体を禁止することは許されない。

 4、修復腎移植の危険性は、最終的にはレシピエント自身が考慮したうえで、移植を受けるかどうかを決定する。

 修復腎移植における自己決定権について。

 2週間前に、日本泌尿器科学会西日本総会で発表された、病腎移植(修復腎移植)への(患者74人を対象にした)アンケートがある。長崎県の4つの病院のデータである。それによると、

 ○絶対に癌にかかった腎臓はほしくない  35人(47%)

 ○場合によっては、癌にかかった腎臓でも移植してほしい 40人(54%)

 となっており、過半数の人は、癌にかかった腎臓でも移植してほしいと考えている。

 当てもないまま腎移植を待たされている患者さんの「移植できる腎臓があれば」との思いを、われわれはもっと切実なものとして受け止めなければならない時期にきているのではないだろうか。

 修復腎移植を受けるか受けないかは、現在の生活の質と、移植後の生活の質を考えて、患者自身が決める権利がある。

  自己決定権(人生観・死生観)=「どう生きるか」は、患者自身が判断すべきこと。患者の人生観・死生観が尊重されるべきである。修復腎移植の場合も全く同じである。

 私の結論

 ○患者の治療選択権は認められるべきである。患者さんが苦しんで透析して生きるのか、リスクを冒しても修復腎移植をしたいかは、患者さんの人生観とか死生観にかかわることである。透析患者の苦しみ、痛みは他人にはなかなか分かってもらえない。患者が苦しいと思っていることはぜひ尊重してほしい。周りから「透析で(生きていれば)いいのではないか」と、簡単に(無責任に)判断することはやめてほしい。

 ○国や医師が「あなたはこの治療がよい」と、決める権利はない。治療は患者のためにある。お医者のためにあるということは否定されるべきものである。

                         (要約・井手 広幸幹事)

 

 メッセージ・祝電                                       

参議院議員 衛藤 晟一様

ご挨拶

 宇和島徳洲会病院の万波誠先生をはじめ、病腎移植に関わられた先生方を支援されている「移植者への理解を求める会」が発足1周年を迎えられたことをお祝い申し上げます。

 私たちは自民党、民主党など党派を超えて「臓器移植問題懇談会」を設け、これまで2回にわたり、議員会館で万波先生からお話を伺いました。一方、病腎移植を受けられたレシピエントの方が移植を受けて喜んでおられるというお話も伺っています。

 すでにアメリカをはじめ、イタリアやオーストラリアでも、病腎移植の成功例が報告されていると聞いております。そして臓器移植では先進国であるアメリカの「全米移植外科学会」から来年1月に開かれるシンポジウムに万波先生の論文が、ベスト10の演題の一つに選ばれて招待されることを知りました。

 皆さまが、一般の方々に移植への理解を求めて尽力されていることに敬意を表すると共に、そのお気持ちを汲んで私たち国会議員も真剣に論議してまいりたいと考えております。

 厚生労働省には、腎臓病の方を中心に病腎移植を支持する6万人を超える方たちの署名が寄せられています。そうした超えを重視して、今後とも皆さま方と手を携えて病腎移植の問題に取り組んでまいります。

 平成191125

                       参議院議員

                       自由民主党厚生労働部会長

                        衛藤 晟一  

 

参議院議員 山本 公一様

 

 移植への理解を求める会第2回総会並びに記念講演会が関係各位のご参集のもと開催されますこと衷心よりお慶び申し上げます。

 皆様方が医療活動の継続と病腎移植の推進運動を積極的に進めておられますことに対し敬意を表します。

 どうか地域医療を守る為にも引き続き運動を展開していただきますようお願い申し上げます。

 平成19年11月25日

                                          衆議院議員 山本 公一

 

                   

 

 

宇和島市長 石橋 寛久様

 

 移植への理解を求める会の皆様方のご熱意により、「移植への理解を求める会第2回

総会と記念講演会」が関係各位多数ご臨席のもと開催されますことを心からお慶び申し上げます。

 また移植への理解を求める会の皆様方におかれましては、ドナーに恵まれない移植待機患者を救うため、やむにやまれぬ思いから病腎移植を進められた万波先生をご支援され、各方面での講演会やシンポジウム、署名運動を展開され、改めまして、心から敬意を表する次第でございます。

 さて、宇和島市も平成17年8月1日の合併により、吉田、津島、そして宇和島と公立病院を3つ持つ自治体となりました。

 ご承知の通り、近年の医師不足により、病床を一時閉鎖するなど、その運営は大変厳しい状況となっておりますが、私たち行政の責務は、地域住民の安全な暮らしを守ることが第一であり、そのためには、地域医療の確保が最も重要であると考えております。

 現在、市立宇和島病院におきましても、厚生労働省による病腎移植問題にかかる監査が実施されており、年度内には、何らかの形でその結果が出てくるものと思われます。

 今後といたしましても、皆様方と協力しながら、思考西南地域の医療を守るため頑張ってまいりたいと考えております。

 終わりになりましたが、本日の総会及び記念講演会のご盛会とご参加されました皆様方の今後益々のご健勝、ご活躍を心から祈念申し上げて、メッセージといたします。

 平成19年11月21日

                       宇和島市長  石橋 寛久

                       

米フロリダ大学移植外科準教授 藤田 士朗様

 

  移植への理解を求める会の皆様へ                 

 臓器売買、それに続く病腎移植の衝撃の報道が日本列島に走ってから、1年がたちました。病腎移植の問題にかかわるようなり、この1年の間に、患者さん、報道関係者、学会、一般医師、海外の医師、政治家、などとさまざまな接点を持ち、意見を交換することができました。このことは、個人的にも、自分の医者としての原点をもう一度確かめることにつながり、非常に有意義であったと思っています。

 

 実は、病腎移植の問題が持ち上がった時、万波先生達にも、足元をすくわれかねないところがあるものの、検討してみると、将来性のある手技だと感じました。筋を通していけば、日本に定着するすばらしい方法だろうと むしろ簡単に考えていました。

 ところが どう間違ったのか、学会、報道関係者、厚生労働省によるバッシングが始まりました。傍からみていると、学会にも属していない「田舎者の医者」に先をこされ、意地になってこれをつぶしてしまおうという「学会幹部」と、その学会幹部の言うことこそが医学会のまともな意見なんだと信じて疑わない、「報道関係者」と「厚生労働省」による単なるいじめの構図です。今でもこの考え方は間違っていないと思っています。

 

 病腎移植の是非を検討するために、病腎移植に関係した各病院で専門委員会、調査委員会が設立されましたが、その、検討内容たるや、医学的、科学的検討からは程遠く、万波氏やドナー、レシピエントの詳細な聞き取り調査をやるわけでもなく、カルテのみを見て、「あらかじめ決められていた否定的結論」を出すのみでした。

  呉共済病院や高松労災病院は(本来的に厚生労働省の管轄なので、自分たちの非を認めたくないために)お咎めなし、市立宇和島病院と宇和島徳洲会病院には、何らかの行政処置を行うということがはじめから決まっていたものと思われます。

 そのうち明らかになるでしょうが、学会幹部の中には、明らかに犯罪とも言える、倫理を逸した医療をしてきた人物も存在しており、かれらに比べれば、あまりにも無防備といえるほどの万波氏の純粋な人柄に私は大いに惹かれました。

 報道関係者に関して言えば、テレビ愛媛、産経新聞、東京新聞などの一部の目覚めた人々を除けば、自分自身で調べることをしない、医学論文を自ら読もうとしない、ただ、「その道の権威とみなされている」人物のところにいって話を聞くだけですべてがわかったたと思い込み、物事にはまったく違った見方があることがわかっていないという、まるで幼稚園児のお使いのような者しかいないようです。

 

 日本はまだまだ、村社会の域から出ていないようです。特に医学界は、古い医学知識にこだわり、現代の医療の現実や生の患者から遊離した学会幹部が牛耳っていて、それに対して楯突くことが許されない社会です。かれらの横暴に対して、心情的に反発している移植外科、泌尿器科の先生方も居られるのですが、白い巨塔にみられる、上のものには逆らわない歴史的風潮のため、日の目を見ることはありません。また、昨今、脳死移植の法案の改定が国会で議論されているため、下手に身内のスキャンダルを暴いて、脳死法案の審議に影響が出ることを懸念する気持ちが働いています。

 学会という権威を隠れ蓑にして、患者を救済するという本来の目的をまったく考えていない厚生労働省は、国民の健康、福利厚生を増進するための組織ではなかったのでしょうか。

 

 最近の私のフロリダ大学での腎臓移植を見てみますと、特に疾患をもたない若者が、交通事故などで脳死となり提供される、いわゆる理想的な腎臓はほとんどありません。生検をすると、糸球体硬化が10−20%、BUN, クレアチンも正常上限を超え、心停止時間が数十分以上、尿に白血球、蛋白、糖も出ていて、抗生物質の治療はうけているが全身の感染症もあり、過去には癌の治療も行ったころがある、高齢者などといった症例ばかりです。それでも、最近では、還流装置に乗せてみて、そのパラメーターが容認できる範囲であれば移植に使用しているのが現状です。いわば、程度の差こそあれ、ほとんどすべての腎臓は病気腎臓といえます。

 日本の厚生労働省のいうところの健康な腎臓のみを移植すべきであるとすれば、今の状態では、1割にも満たないことになるでしょう。卑近なたとえですが、われわれは新車を取り扱っているわけではないのです。すべてが、いわば中古車なわけで、程度の差こそあれ、何らかの不具合があるのが当たり前でしょう。

 

 すばらしいことに、来年1月にフロリダのマルタ島でおこなわれる 全米移植外科学会の冬季シンポジウムで万波先生らの病腎移植の演題が採択されました。しかも、トップ10の演題に選ばれ、3日間のホテル料金と1000ドルの賞金までいただけることが決まりました。本当に喜ばしいことだと思います。この学会には ぜひとも万波誠、廉介先生をはじめ、光畑先生や西先生にも来ていただきたいものです。

 また、この学会に合わせて、オーストラリアで同じような病腎移植を行っている、二コール先生にアメリカまで来ていただき、私の属するフロリダ大学でも講演していただくことになりました。二コール先生は、最近有名な医学ジャーナルに、これまでの結果を投稿され、採択されたとのことです。現在、日本の万波先生らとの共同研究で、この病腎移植の症例を合同で執筆し、欧米の移植学会や医学ジャーナルへの投稿を行うことになったことも、移植への理解を求める会の皆さんにご報告したいと思います。

 

 「病腎移植」という言葉は、否定的なニュアンスがあり、欠陥のある腎臓のように感じられます。そこで、全米移植学会の元会長であるハワード先生と一緒に考えて、「治療を行って修復した」という意味でのRestored Kidney という名称を提案しました。来年1月フロリダの学会での発表演題にもこの言葉を用いています。日本語でも、難波先生の提唱でリストア腎として定着を目指したいと思います。

 

 「どうでもいいことは他人に従う。大事なことは良心に従う。芸術は自分に従う。」これが、音楽をたしなむ私と妻の家訓です。こと、病腎移植に関しては、「大事なことは良心に従う」の心情で、誰からも後ろ指を刺されないように、正々堂々とやってきたつもりですし、これからもそうしたいと思っています。

 

 これまでの、「移植への理解を求める会」の皆様のご支援は、本当にすばらしいものだったと思います。医師が関係した事件で、患者団体が、その医師を擁護するために立ち上がり、6万人以上もの署名を集めて嘆願するといったことが、これまでの日本の医療の歴史の中で一度でもあったでしょうか。

 将来、この事件に関与した、多くの「学会幹部達」は「これまでの功績」により、日本政府から何らかの勲章を得るようなことになるでしょうが、私は、万波先生らが得た、6万人を超える支援の署名に勝る、真の勲章はないと思っています。将来の歴史家が顧みて、万波先生らに真実の価値を与えてくれることを信じて疑いません。

 

  まだまだ、これからもいろいろなことがあるでしょうが、それぞれが自分でできる範囲のことを、やっていくことにより、明るい日本の将来につながることを期待します。

 

愛媛県議会議員 横田 弘之様

 

 移植への理解を求める会第2回総会と 記念講演会の開催を祝し 心よりお喜び申しげます 公務の都合により 残念ながら 出席が叶いませんでしたが ご盛会をお祈りいたしております

 移植によって 命を救われた方にとりましては 万波先生は神であり 文字通り命の恩人であります 

 私としましても 万波先生が 正しく医療行為が続行できるように 精一杯の応援をして参りますので 皆様方におかれましても 今後ますますのご活躍を 祈念いたします

                       愛媛県議会議長

                        横田 弘之

 

会員 桜井美智子さん(仙台市)

 

  第2回総会は必ず勝利を勝ち取ることをお祈りいたしております。

 お花を贈らさせていただきました。

 万波先生、ガンバレ!

 

 このほか、上記の桜井さんと、加藤義美さん(釧路支部長)から、それぞれお花をいただきました。ありがとうございました。 

 

 出 版                                       

 この国の医療のかたち 否定された腎移植」

 著者はテレビ愛媛の村口敏也ディレクター。病腎移植問題が表面化して以来、1年余り、報道班のチーフとして、的確な視点で精力的に報道番組を制作してきた村口さんが、病腎移植を肯定的にとらえ、現在までの動きと実情を、詳しく紹介しています。

 病腎移植に関する国内外の情報を網羅した好著で、テレビ番組では報道しきれない内容が、ふんだんに盛り込まれています。

 <患者に寄り添う医師がやむにやまれず行った病気腎移植に、関係学会は「医学的妥当性なし」との最終判断を下し、厚生労働省は臓器移植法のガイドラインを改正し、病気腎移植を原則禁止した。残された道は、適正な手続きに基づいた臨床研究。「私は研究者なんて柄じゃない」と口ごもる万波医師だが、今度こそ学会も含め日本の医療界が一丸となり、ドナー不足解消のカギを握るこの新たな移植を追求していってほしいと願っている。>(あとがきから)       (創風社出版・1836円)

 カルテの余白 院長室から見た医療の風景

 市立宇和島病院の名誉院長で、移植への理解を求める会顧問でもある近藤俊文先生の医療エッセー集。地方の医師不足の深刻化や患者のたらい回し、医療機関の消滅など、危機に瀕している日本の医療のさまざまな問題について、医療現場での体験や数多くの患者さんとの交流を通して、その望ましいあり方を論じています。

 内容は1996年〜2001年に、愛媛新聞社発行の「えひめ雑誌」と、朝日新聞の愛媛版に連載したものを、テーマごとに再構成し編集したものがベースとなっています。                     (岩波書店・2312円)

 

 事務局から                                                           

 関係書籍在庫あり 事務局には、上記の出版物のほか、難波紘二著「覚悟としての死生学」(文藝春秋・735円)、青山淳平著「いのちと向き合う男たち〜腎移植最前線」(光人社・1680円)、えひめ移植者の会編「命の贈りもの」「命の贈りものPart2」(創風社出版・1000円、500円)の在庫があります。希望される方はお申し出ください。実費でお送りいたします。

  会費納入のお願い 移植への理解を求める会が2年目を迎えました。そこで、

新たな1年間の会費納入を皆さんにお願いしたいと思います。会費はほとんど通信費として使わせていただいています。またカンパや会員の勧誘も歓迎です。

 

会報第9号  

2007年

1227日() 発 行

発行者 移植への理解を求める会 代 表 向田 陽二

     〒798-4101愛南町御荘菊川2290    電話085-74-0512

編集者             幹 事 野村 正良

          791-8006松山市安城寺町1746-8  電話089-978-5434 

発行所             事務局 河野 和博

          790-0925松山市鷹子町9282   電話089-970-3943